食べ切れんけど

札幌からとうきびが届きました 箱を開けるとぷぁ~っと北海道の懐かしい匂いがしたよ 有り難い事です 郷里への想い… 募ります… あっ 隅っこにメロンも入ってたぞぃ お礼の電話を掛けなくちゃね

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白い花が咲いてたぁー

さくらと家内と散歩がてらにドライブしてたらね ちょっと長めの信号待ちです 何気に脇目を振ると ひょろろぉーっと白い花が咲いてました いつも通る道なのにね… この日はのんびりんこと心に潤いがあってさ 優しい気持ちと思い遣る気持ちを持ち合わせてたみたい… 何故か心に留まる白い花でした… 車中はわきあぃあぃ いい雰囲気でしたわぃわぃ ナハッ ******************************************************* おいらが24歳の時仕事に明け暮れて頑張る毎日でしたが どうも思うようにいかない色んな事に自暴自棄になって 捨て鉢な考え方に傾倒仕掛けた時 当時の親方が飲みに連れて行ってくれ 励ましてくれました その時親方が優しい声で歌ってくれた♪白い花が咲く頃♬を思い出しました とてもとても心に沁みて気持ちを新たにした事を懐かしく思います 以来 心の歌としてずっと胸にある曲です ふるさとを思い出します… 泣けてきます… 滴る涙で白くぼやけてます… ふるさとに今帰りたや帰れない しどろもどろの出勤前                    …

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もも字のうた 71 ~逸る想い~

航空チケットとホテルの手配が済んだら 後はどっしりとその日を待てば良いものを そわそわと落ち着かず どうにも気が急いて 想いは早くも札幌に飛んでます まだまだ 手配をしなければならない事があると云うのに まったくおいらは困ったもんだ 仕事も手に付かないぞぉ 正直な今の気持ちなんだなぁ 「望郷の空に向いて目に沁みる 銜え煙草の揺らめく煙」                                もも字

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星が降る街 さっぽろ

季節の厳しさが増しても 住む人々のあったかい心が             身に沁みる街さっぽろ… もう何年も帰らず仕舞いのおいらだけど 決して忘れる事のない心のふるさと            星が降る街さっぽろ… 17日からホワイトイルミネーションが始まったよ http://cl.biglobe.ne.jp/t/e061117d1t01 ピューンって飛んでってごらん煌めく世界が待ってるよ

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札幌で初雪 東京で木枯らし1号

昨日は北海道が大荒れの天気で札幌では初雪 が降ったそうです 一時は吹雪模様だったみたいで これから厳しい日が多くなってきます 最大瞬間風速は札幌で26.8メートル  北海道南部の江差町では31.7メートルを観測したとの事で いよいよ冬到来ですねぇ 気温も平年より2度から4度下がって 随分しばれてるんだねぇ   東京でも北風がピューンって吹いて木枯らし1号だそうな… 気温も15度ぐらいで 11月下旬の気温だったそうで 昨日はとっても寒い日曜日でしたね 北海道の北に低気圧があって すっぽり寒気に覆われているらしいです   竜巻の被害に遭われた佐呂間では復旧作業に影響が出てるそうだ 叔母さんの親類はもう住んでいないが 友達がいるそうで気掛かりである 屋根が飛ばされた家では ビニールシートをかぶせて凌いでいるみたいです 白い冬に魅せられるけれども 厳しい自然のうねりは止められませんね 早く穏やかな天候になって貰いたいです

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もも字のうた 65 ~まっかっか~

寒いだろなぁ きっと寒くて みんなの耳も鼻もまっかっか もうストーブも とっくに まっかっか 風邪引かぬように ちゃんと まかなって出掛けてよぉ みんな元気で居てなぁ お手手もアンヨも霜焼けにならんようになぁ 叔父さん叔母さん達者でなぁ…             身体を厭うてなぁ… 大切な大切な故郷の人たち…             いつまでも いつまでも…              「ふるさとに初霜降りて雪便り 病む膝さすり曙光に願う」                                  もも字

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初冠雪

おいらの郷里では白い季節の訪れが もう間もなくやってくる 札幌市近郊の手稲山で23日初冠雪を観測したとの報を聞いて すっかりご無沙汰している郷里の山々に思いを馳せている 札幌市では1.3℃と季節一番の冷え込みとなったみたいで 道往く人たちも きっと白い息を吐きながら コートの襟を立て耳を赤く腫らし肩をすぼめて 家路を急いだであろう 手稲山は思い出数多い山である 一番は手稲山をスキーで縦断して何時間もかけて走破した事だ 中学2年の真冬の或る日の事です 空は真っ青に晴れ渡っていて キンッと張りつめた空気が とても冷たく 頬に突き刺すように痛かったけれど  辺り一面太陽の日差しでキラキラと輝いていて 爽やかな思い出です 懐かしく甦ります 北の大地よ 白いふるさとよ      凍える手を優しく包んであげてね 厳しい自然との調和に長けた郷里の人々よ      大地を愛し そして 先人の歩みを鑑みて            どうかご安息の日々を… 北の大地よ…      白いふるさとよ…           ああーっ…           ***北海道日本ハムを応援してます***            

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本日のおすすめ 100

             「鰊の塩焼き」 記念すべき本日のおすすめ100本目      北の春告げ魚 鰊 その昔 かどと云われ その真子をかどのこと云い 転訛してかずのことなった もちろん食べたら オスの方が断然に 身は美味い しかし 鯑(かずのこ)が重宝がられて 人気はやはりメス ずぅっと昔々 海面が銀鱗で輝いた頃(群来…くき) 保存食として二枚おろしにして干した だから 二身(にしん)と云われ 身を欠いているので 身欠き二身と云われる所以である 染めおろしをたっぷりとのせて 口一杯に頬張ると 遠い北海道を思い出す  今 この地で手に入らず わざわざ築地から 取り寄せた たかが居酒屋なのに そこまでしてと思ったが 無性に鰊をさわりたかった 無性に北海道が 恋しかった 原点に立ち戻ろう          北海道をこよなく愛す

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望郷の念に駆られて

今すぐ、飛行機に乗って帰りたいなぁー 千歳までたった1時間半で着いちゃう 片道2万7・8千円 いてもたっても居られない衝動が襲う 千歳空港からびゅーんと札幌へ 着いたら何しよう、どうしよう、どこ行こう うーん、まずは"すすきの"で昔馴染みの店で 一杯やって、懐かしい朋友(ぽんゆう)と逢って 積もる話しに花でも咲かせるか おっと、忘れちゃならない ご先祖様の墓にも、顔出ししなくちゃ ばちが当たるってもんだ でも何よりも、やっぱ"とりQ"のガツが食いてぇー 身内にも挨拶に行かなくちゃ 叔父さんどぅしてるかな?変わりないかな? あぁー帰りてぇー 仕事なんか、すっぱり縁切って、行っちゃおうかな このまま、連絡も何もしないで、行っちゃおうかな かぁーそんな事、やっぱ出来る訳ないじゃん くぅーオイラ根性なしだぁー

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嗚呼 津軽海峡

♪思えば 遠くへ 来たもんだ♪と、武田鉄矢氏が歌って、 九州から東京へ夢を抱いて上京したけど、そこには なかなか、越える事の出来ない川や海がある。 勇気のいる事だと思う。 オイラにもなかなか越える事が出来なかった海がある。 津軽海峡 心地よい響きだ 旅行なんて事、オイラには無縁の代物 でも、中学生の修学旅行で、青函連絡船に 初めて乗り、岩木山や十和田湖を訪れた。 それが、最初で最後だった。 青函連絡船の廃止で、もう津軽海峡の海を 渡る事はない。 当時、内地(本州)とを繋ぐ海峡に、思いは様々だろう。 集団就職で渡った人たち…ああ 上野駅 ♪どこかに故郷の かおりをのせて♪ ♪入る列車の 懐かしさ♪ みんな青函連絡船で、津軽海峡を越えた。 不安と希望を胸に抱いて… オイラは今、遠く離れた地にて、 津軽海峡の潮に身をまかせるが如く 魂はいつも、ふるさとへと戻っていく。 嗚呼 津軽海峡

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厳寒の地 旭川 其の参

操り人形を作っている、工場の前の通りは、子供たちの遊び場だった。 いつも缶蹴りや鬼ごっこなど、遊びが一杯だった。その頃、手作りの弓矢が流行り、みんな弓矢を持っていた。遅れ馳せながらオイラも作るのだが、なかなか上手に作れない。作ってもあまり飛ばない。他のみんなも立ち木を曲げて、作っただけの簡素な物だった。オイラがおやじに頼んで、弓矢を作ってもらった。作るときの一部始終を見ていたが、これがまたすごかった。竹をぐにゃっと曲げて、 糸をぐっと張りビュンビュンと唸りをあげていた。矢も手作りで仕上げてくれて、すごい矢が出来あがった。インディアンが作る矢のように、限りなく本物に思えた。オイラはその弓矢を持って、自慢げに みんなに見せびらかした。すると、おそらく高学年か中学生だと思うが、弓矢を取り上げ天に向かって、弓を放り投げたのだ。なんとそれが運悪く、電線に引っかかってしまい、落ちてこない。 みんな逃げてしまい、オイラも為すすべなく、途方にくれ家に帰ったが、おやじにその事は話せなかった。叱られるかも知れないと思ったし、折角作ってくれたのに申し訳なくて、子供心に胸が痛んだ。 次の日もまた次の日も、電線に弓が風に揺られて、空しくぶら下がっていた。が、不思議とその後の記憶はない。あの弓はどうなったのか…。 学校で使う縦笛(今はリコーダーと云うのかな)が必要で、指定の楽器屋さんだと思うが、お金を貰って一人で買いに行った時のお話。目当ての笛を見つけ、いざお金を払う段になって、どうしてもお金が足りないのだ。きっ…

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厳寒の地 旭川 其の弐

夏はとても暑く、冬はとても寒い。夏と冬との気温の差が、一番かけ離れている所と、子供の頃に聞いた。そんな土地 旭川。通った学校は日章健康小学校。ロータリーを横切り、常磐公園を抜けた先に、あったように思える。わずかな時期しか居なかったが、強烈に記憶の片隅に、残っている奴がいる。似たような境遇に感じた奴だった。同じ匂いがした。そいつはポツリと、すぐよその土地へ行くんだと、事も無げに呟いた。キグレサーカスの団員の息子で、町から町へ公演が終わると、移動するのだ。顔立ちも思い出せないし、名前すらすっかりと忘れたが、おそらく10日位の付き合いだったような気がする。極め付けの話がある。どう云う訳かそいつは、お金を持っていた。或る日、メイン通りにある、亀屋(屋号の字は確かではない)と云うお店に、2人だけで入った。真っ白なテーブルクロスが掛けられ、ちょっとオシャレな背もたれの深い、椅子だったように思う。オイラは子供だけで、とても悪いことをしてる気がして、おどおどしてた。そいつはメニューを眺め、注文した。オイラには、何が何だか分からず、ただ黙ってそいつの云うがまま、椅子にちょこんと座っていた。聞いた事はあっても、見た事のない物ばかりだった。サンドウィッチにオムライス、ソーダーにアイスクリーム。店員さんの怪訝そうな顔が、気になった。しかしそいつは、頓着なく平然としていた。二人で平らげて、お勘定はどうしたのか、その先の記憶がない。ただその夜、こっぴどく叱られたのは、しっかりと憶えている。 常磐公園の一角から、テント小屋が…

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道央の春

そういえばこの頃、札幌とは連絡をとってないが、天候はどうか まだ冬の名残はあるのか、いやもうあるまい スキー場は5月の連休でも滑れたが、さすがに街中は 春を待ちわびたかのように、お天道様の日差しで アスファルトが乾き始めているだろう…かすかに湯気を立ち昇らせて… 今頃、春の野山をよく歩いたもんだ 山ん中はまだまだ雪が残っていて、林道も土がわずかにしか 見えない所もある。雪は真っ白で街中の喧騒が嘘のようだ ぽっかりと雪が薄くなって、そこに黄色い福寿草がひょっこりと 頭をもたげている。見つけた時の、感激を今でも憶えている 満たされた気分で、活力が湧き上がった 山菜もぼちぼちだろう 紫の蝦夷えんごさくが咲き乱れ、ちょっと遅れて赤紫の かたくりの花が咲き、ふくべらも伸びてくる いたどりの芽やたらの芽に後からは蕨やぜんまいなど 道央の春山は山菜の宝庫だ もちろん山蕗も忘れちゃ山神様に申し訳ない それに北海道ならではのアイヌ葱もそうだ あっ今は、差別の問題でアイヌと云っちゃいけないんだな 正式名は行者にんにくだ。これがまた旨い…醤油に漬けるか 酢味噌を掛けて食ってみい、格別に旨い…至福の極みだ ほかにもあるが、やはり、あずき菜には一本取られる お浸しでかつお節と醤油を掛けて口に放り込んだら 広がる甘さ、山菜なのに苦味がなく、ほうれん草にも似た その柔らかさは、他に類を見ない いやぁー日本人でホント良かった 帰りたい、戻りたいもう一度、オイラの帰巣本能が 疼…

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時計台 其の弐

"ふるさとは遠くにありて想うもの"とはよく云った物だ。 近くにいて、いつでも行けるなんて所は、素通りしても普通に、 何てことのない建物だ。その場所に溶けこんでいて、 生活の一部分に過ぎない.でもよく、不思議と当時は、 裕ちゃんの「恋の町札幌」を歌っていた。 ♪時計台の下で逢って …私の恋は始まりました♪ ♪黙って貴方についてくだけで…私はとても幸せだった♪ そんな、せつない女心をこの年でわかるなんて。 男ってのはホントに身勝手でごめんなさい。

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時計台

札幌に12歳から42歳まで暮らして、 観光名所の時計台に訪れたのは、たったの一度きり。 それも家内とついでに寄っただけと云う、 何とも味気のない訪問。 正味1時間も見ただろうか?いつでも行けるって気持ちが、 足を遠のかせてた気がする。 中に入ると、よく分からない資料が、ずらっと並んでいて 頭が痛くなり、殆ど館内をただ通り過ぎただけのように思う。 今は何があったのかさえ、忘れている。 行ったと云う事実を覚えてるに過ぎない。 でも遠く離れた地にいると、なかなか飛行機には 乗れなくて、後悔しきりである。 時計台に限らず、あそこ、ここと思い巡らし、 しまったと思う今日であった。

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厳寒の地 旭川

おばばと別れ新しいお母さんの実家がある、厳寒の地旭川へと居を移して転入した学校は 日章健康小学校だったと思う。子供心になんか新しい感覚の、名前の学校だなと思っていた。 普通は土地の名前が付いてるのに、ここは違った。 学校生活の思い出は殆どない。なぜかない。無理もない事だとは思う。 1年足らずでまた転校してしまうのだから。ただ強烈に記憶に残っていることが、いくつかある。 その実家は、2階建てなのだが、1階は操り人形を作っている小さな工場だった。 最初から最後まで全ての工程を、其処でやっているかどうかは、子供の時の記憶では よく分からないが、いつも塗料の匂いが鼻をついていた。朝学校に行く時は、まだやってなかったが 帰ってくると、いつもぷんぷんと匂っていた。人形はピノキオみたいに、紐が何本か付いていて とても興味を引かれた。そのうち、馴れてきていつのまにか、触らせてもらえるようになり、 とてもうれしく、おばばと別れた寂しさを操り人形で癒すようになった。そこの人の顔などは、 全くもって覚えていないが、すこぶる可愛がられたのを覚えている。 実家の家族構成は、新しいお母さんの妹とその父母、そしてオイラ達3人。 狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めだった。おやじが壁をぶち抜いて部屋を作って、少し広くなった。 その手際の良さにびっくりした。そこの父、オイラから見てじいちゃんになるのだが、 当時は雑品屋を生業としていて、学校が休みの日などは、一緒にリヤカーを引いたり押したりと 歩き回った。マン…

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隣りのバスガイドさん

遠く白いふるさとを離れる前に、どうしても記述しておかねば、ならない事がある。オイラとおばばとおやじが暮らした家は、新築だった。そうは云っても、ふた間の狭いうちだ。隣りもあって、一戸建ち二軒、寄りそうように暮らしていた。隣りは今思うと、まだ若くお子さんはいなかった。或る日、その隣りのおばさんが、岩見沢まで遊びに連れて行ってくれた。どんなところへ行ったのかは、不思議と憶えていないが、母親を知らないオイラにとって、若くてきれいな女の人と、一緒に手をつないで歩くなんて事は、とても嬉しい出来事のひとつでした。その方は、バスガイドをしていて、眼鏡を掛けていた。 でも、他には何も知らない。お名前すらも…。 そう云えばもうひとつ、当時今のように、水道がなく井戸水だが、或る日たくさんの人達が、集まって 額に汗してた。みんなで井戸を掘り、力合わせて完成した。子供心に、やっぱりおやじが大きく見えた。中心にいて采配を振るっていた。おやじはガキの頃から、オイラのじいちゃんについて歩き、大工仕事をしていた。美流渡のお寺も、じいちゃんとおやじと、他のみんなで建てたと、おばばから聞いた事がある。そのお寺のお墓に、みんな一緒に眠っている。今はまだ、雪に埋もれて…。

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遠く白いふるさと離れて 其の2

それは1学期の終わりだったのか、はっきりと憶えていない。 ただ云える事は、新1年生となり、遠足の思い出と、運動会。 そして毎日、走って家に帰った記憶の後に、必ず出てくる光景だ。 或る日、おやじが何日かいなくなって、或る日、新しいお母さんだと云う人が、 突然現れた事だ。きっと、おばばも驚いたんだと思う。 認めた間ではなかった。子供心に、二人は合わないと、うすうす感じていた。 今でも鮮明に、記憶に新しい場面がある。冷麦を食べていた時、 その新しいおかあさんが、つけだれにお酢を入れると、おいしいと云い、 おばばはそんな事聞いた事ないと云い、すったもんだの大喧嘩をしたのだ。 オイラとしては、おばばが好きだし、でも新しいお母さんは捨てがたいし、 何とも妙な気持ちだったのを憶えている。 そんなこんなの日々を過ごしているうちに、 いつのまにかおばばの姿は、こつ然と消えていた。 長男の家に戻ったのだ。何日たったのか定かではないが、昼時だと思うが、 3人でかぽちゃの煮付けを食べている時、おばばが荷物を取りに来た。 その時おばばが云った言葉が、何年たっても耳にこびりついてる。 「そのかぼちゃは、おまえ達に食べさす為に、農家に手伝いに行ったんじゃない」の一言。 喉が詰まったのを憶えている。とてもとても、せつなかった。 はじめて、おばばの怒る顔を見た。小学1年生の胸にズキンときた。 そしてまた、何日かたって3人は、新しいお母さんの実家がある、 厳寒の地 旭川へと居を移す。びっしり中…

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ライラックの花

今年は雪が多かったので、まだまだ家の周りや玄関脇には、きっと汚れて黒ずんだ雪が、残っている事だろう。札幌の春はまだ先だ。陽気が差し、道路がぐちゃぐちゃになり、道端にかろうじて雪が残る頃、ライラックの花の蕾が膨らみ始める。本格的に芽吹くのは、大通り公園の雪がなくなり、 気温が上がってからだ。札幌の花 ライラック、オイラはこの花がとても好きだ。遠くから眺めると、 風になびいて、ゆらゆらと舞う姿は、優雅で気品を感じる。大通り公園をよく散策した。 今年も来年もそしてずっと先も、ライラックは札幌の花だ。

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遠く白いふるさと離れて

小学校1年生になる時、おやじが帰ってきた。 村の人たちに署名して貰った 嘆願書のおかげなのかは、定かではないが おやじが帰ってきた~ム所から。 遠く白いふるさとを離れた。 隣り村に引っ越して、新1年生。  おばばとオイラとそしておやじと。 遠く白いふるさとを離れた。 毎朝、学校に3kの道のりを 歩いて行くのだが、もっと遠くから通う  6年生のお兄ちゃんが、いつも一緒だった。   時たま、おばばが ゆで卵を1個づつくれて    食べながら行った。 それが熱いのなんのって  茹でたばかりの卵で、いやー参った。 帰りはなぜか、オイラひとりだった。  いつも必ず、おばばに早く会いたくて   走っては歩き、走っては歩きだった。 毎日、毎日。 背中のランドセルには、昼に食べた弁当箱が 入っていて、オイラの走りに合わせて、  梅干の種が、カランコロンと鳴っていた。 いつも、いつも。 つましい生活だったが、貧乏と感じた事が 一度もなかったように思う。 おばばが愛情をそそいでくれたから。 遠足で水筒が欲しくて、学校へ行く途中に  雑貨屋の店先に、吊るしてある水筒に   目を奪われ、しばし立ち止まって    眺めていた記憶がある。 遠足当日  なんとその水筒に水を入れて、持たせてくれた。 うれしかった。とても、とても。 運動会があり、まっさらの白い足袋を履き  石コロで足の裏が痛かっ…

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お彼岸

今日は春の彼岸の中日。 春分の日だが、なぜかオイラは彼岸の中日。 おばばが、いつも云っていたから。 ぼたもちを思い出す。 大きくてあんこがたっぷりついて ちょっぴり塩が効いていて、口一杯にほうばって食べた。 今日は春の彼岸の中日。 よくは知らないが、彼岸は西を指し 亡くなった仏様がたどり着くところ 三蔵法師と孫悟空の世界だ 西方浄土の世界 いつかオイラもたどり着くかも 遠く白いふるさとの霊園より お彼岸の案内がきている 札幌の真駒内、白い雪でお墓が 埋もれているけど、スコップ片手に 雪を掻き分け、今ごろみんな お参りしてるだろう 遠い地に身をおいて簡単には 行けないし、仕事も休みを取れないし 何とも複雑な心境だ せめて、ろうそくとお線香をあげ 手を合わせるとしよう 家内がなにやら、お六膳の用意をしてる ありがたい事だ 今日も無事。感謝。おかげさまで。                     合掌

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遠く白いふるさとを想う時、"おばば"を一人回顧する

神の思し召しか天よりの試練か、生を授かってからの 最初の記憶が父なし子、母なし子。 いつも傍に"おばば"が居た。 遠い北の大地、北海道、空知の美しく流れ渡ると書いて 栗沢町"美流渡" オイラが産声をあげた 炭塵とボタ山と炭住街の長屋が点在する  今は遠いふるさとだ。 鮮明に焼き付いた記憶にスキーを滑っているシーン、 子供ながらに果敢にジャンプに挑戦している光景だ。 学校に上がる前の4歳5歳だと思う。 それがなにより毎日の遊び事だったように思う。 褒めてくれる親はなし、でも、いつも傍に"おばば"が居た。 遠く白いふるさと"美流渡" 或る日、長靴の中は雪が入り 溶けてビチョビチョ、 "おばば"が編んでくれた手袋もビチョビチョ 冷たすぎて手袋は履かず首からぶらさげて (両方の手袋を長い毛糸の紐でつないである) ビェーンビェーンと泣いて帰った事がある。 その時だと思う、なぜかおやじが居た。 が、その人がおやじ…おとうさんだと 当時は認識してなかったように思う。 いつも傍には"おばば"が居た。 遠く白いふるさと"美流渡"の白い思い出は まだ他にもあるが、ほとんどそこで切れている。 おやじ…おとうさんの記憶もそこで切れている。 後に再会はするが…。でも、いつも傍に"おばば"が居た。 そして、とても近くに感じた満天の星と白い雪煙、 しばれて(冷えこんで)キンとした空気とかじかんだ手、 何もかもが遠い北の大地、北海道、白いふ…

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