祭囃子が聞こえる頃

9月になっちまったね おいらの店では毎年この時期にはコオロギ君がこぞって鳴き声を競ってます 不思議と壁の間とか天上とかレジの下とか大合唱なんですぞぃ(笑) 秋だねぇ… 秋と云えば村祭り… 村の鎮守の神様の今日はめでたい村祭り~ どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら て 小学校の時習ったっけなっ… 今年は豊年満作だぁ~とはいかないけど おいらんちの隣の田んぼの稲穂も伸びてきてさ もう少しもしたら黄金色だぜっ よっしゃっ でもこの時期っておいらには切ない想い出があるんだなぁ~ 三笠の幾春別に居た頃… 普段小遣いなど貰った事が無いんだけど 財布の中からなけなしの50円を貰ってさ それをちっちゃな手に握り締めて嬉しくて嬉しくて 出店までひとっ走りしたのを思い出す 陶器を売るのに口上を述べてる人や 蛇がウニョウニョだったりお化け屋敷だったり… そんな中で丸い輪になってる黒だかりの人たちが居たから 何かなぁ~と隙間から覗いたら 小太りのおじさんが口角泡を飛ばして叫んでいた 小さな小瓶をかざしながら擦り傷 肩の凝り 膝の痛みにちょいとつければ あれよ不思議と治っちまうとのたまっていた 子供心にそんなに良く効く薬なら ばあちゃんに買っていけばきっと喜ぶだろうな… 手…

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奮い立った若い頃

今日は1週間と1日ぶりのお休みで またまたやらなければならない事が山積… 頭の中は全部こなせるだろうかと少々焦りがある 眠れぬ夜を床の中で悶々として えぇーぃ ままよと朝早くから飛び起きて書棚の3冊の本を引き抜く   若い頃 何十年も前になるが… 頻繁に読んではカサカサの心に栄養と水分補給をしてたっけ… 言葉の持つパワーと説得力に何度となく奮い立たせて貰った事か…   歳を重ねた今 改めて読み返してみると いちいちごもっともと頷けるのだが 言葉遊びだけでは飯は食ってけないんだよなぁーっと痛烈に思う 作り言葉だけでは現実は回避出来ないんだよなっ… つまづいたっていいじゃないと楽天的に考えてたら取り残されてしまう   人間って勝手なもの… 若い時にはたくさんの勇気と励ましを貰った本なのに 今じゃ屁のつっぱりみたいに思えてしまう 言葉遊びは決して嫌いじゃないけど… それだけじゃ 生きていけねぇーんだよなっ 霞を喰って生きる訳にもいくまいて…

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田舎の風景

わいわいとみんなで遊んだ田舎の原っぱや 木々の枝を折って魚釣りをした川や沼の事は 生涯忘れる事のない想い出だ。ぼんやりと空(くう)を見つめ想いを馳せれば 喜々としてはしゃぎながら飛び回って遊んだ事が鮮明に蘇る。 時には喧嘩したり泣いたり悲喜交々の想い出があってキュンと胸は切なくなるが 子供の頃の田舎は格別の宝物だといつも思っている。 そんな田舎に無性に帰りたくなって 今の置かれている現状からフッと居なくなってしまいたい衝動に駆られる事がある。 子供なりに色んな悩みはあったけど そこには連帯感があって何よりも純粋だったと思う。しゃがれた親父になっても 忘れちゃならない大事な事を子供の頃の自分を思い出して襟を正したい。

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驕慢

人を侮り高飛車な態度で 勝手気ままに振る舞ってきた若い頃を思うと胸が痛む。 向こう見ずに突っ走って どれだけ家内をヤキモキさせたかを考えると心が痛む。 取り返しはつかないけど… あの頃に戻れるなら… もう一遍やり直してみたいと思う。 足りなかった努力を補って 犯した過ちを正して過去の人たちに謝罪したい。 満足するのではなく まだまだと知って歩んでゆきたい。 「百里は九十里を以って半ばとす」… 心に刻んで 精進しようと思う。

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私鉄沿線

家内と一緒になった昭和50年 ふたりで暮らし始めたのは 昔連れ込み宿だった家の2階だった。夫婦として世の中でどう生きてゆけばよいのか まだ駆け出しのおいらたちには手探り状態だったが そこのおばあさんがとても良くしてくれた。それこそ気っ風がいい明治女の範たる人で 普段から着物を着ていて おばばの匂いと重なるようでとても親しみを持って接していた。 その家から2丁ほど歩くと路面電車が通っていて 家内とそこまで歩いて行く途中に市鉄沿線と云う喫茶店があった。当時 野口五郎が歌う「私鉄沿線」が巷で流れていて おいらたちは一字違いの喫茶店が妙に気に入って良くふたりでお茶を飲んだ。 今でもふたりの心に想い出として残っている。 財布には僅かなお金しか無くピーピー云ってたのに不思議とお茶代は何とかなった。 この曲を聴くとジンときて 家内とふたりで暮らし始めた二十歳の頃を思い出す…。

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前略おふくろ様

おいらには母親が居ないから おふくろと呼んだこたぁーないけれど 修行時代に住み込み部屋にあった古いテレビで 欠かさず見ていたドラマのひとつに「前略おふくろ様」ってのがあってさ 板前修業してる主人公がもがきながらも 懸命に仕事に打ち込むんだよね 周りの人たちの人情がやけに沁みて 当時のおいらと共通するところがあって 身近に感じたドラマだったんだ 半纏を羽織ってマフラーをして雪駄を履いて 鯔背で粋な男の世界なんだよなっ 「誰のお陰で大きくなれたんだっ」 昔はよく聞いた言葉… 今は死語かもしれないね… おいらには とても沁みる言葉です… ***過去記事です***クリックしてね

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流浪

さすらいて ボロボロになったって構わない… そんな風にやけのやんぱちで物事を考えた時もあるさ 人生の旅の途中で 君と出会えて… 自分を大事にしなけりゃ 君が哀しむんだと思い知った時 おいらの心の中に巣くってた鬼は 跡形も無く消え去った さすらいて こびりついた垢も異臭も今は無く… ただ ほんの少しだけ… ガキの頃の苦い思い出だけが たまに顔を覗かせるのさ 人生の旅の途中で 君と出会えて… おいらの心の中に巣くってた鬼は 跡形も無く消え去った

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勇気あるもの・・・

おいらが小学生の5年生か6年生頃だったと思うけど 家庭の事情でとても荒れてた時があってね まぁ 大体が家庭なんてもんは無かったんだけどさ テレビなんて有る訳ないし ラジオだって無かったしさ うちん中にはなぁーんにも無くて ガラーンとしててね まぁ 広々としてて住みやすいって云い方もあるけどさ (笑) 夜中になるとね 電気も無くて真っ暗闇になっちまって なーんにも見えなくなってしまう… 部屋の片隅でポロポロと涙こぼして泣いてた夜もあったっけなぁ まぁ 当時はおいらの人生 お先真っ暗って感じだったから お似合いって云えばお似合いなんだけどね でね 夜中にね どこからか聴こえてきたんだよ 静まり返った部屋にその歌がね… 隣のうちのラジオなのかテレビなのかレコードなのか おいらには知る由も無かったんだけど スゥーッと胸ん中に入り込んでさ 生きる意義ってのを知ったような気がしたんだ… その時は曲名は分からなかったけど すんなりとメロディーが頭ん中に入ってさ 以来 おいらの心の歌になったんだ 今聴いたらね ジンときて… 泣けるぜ…

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顧みん

どうにも寝つけず水割りをチビリと飲みながら 過去記事を読み始める 思えば 2005年2月19日がこのブログの最初の記事だが 本当は一日前の18日に一本記事を書いている しかし 初めての事で迂闊にも間違って削除してしまった幻の記事がある うろ覚えではあるが 内容は何となく頭に残っている 自分にとっての心の支えとは なんぞやなどと書いた記憶がある 今となっては初々しい感じがして懐かしい 読み始めて しどろもどろな文章に 自分でちょっぴり気恥ずかしくなって 閉じようかと思っていた時 一本の記事に目が留まった 2005年3月6日7時42分に書いた記事である 自分で書いたのに 何か心に響いてくるようなそんな感じがした 忘れかけてたもの 忘れちゃならないもの 心新たな なんとも感慨深いひと時となりました       栄光の道                  作 もも字郎 遥か 遠い 幼き日   心を癒す すべなくて    すがる誰かを 捜してた 瞼の奥の 瞳の中に  見つめる 影を見た 伸ばす手が 届かない 偶像の世界 学校帰り 校庭の  片隅で しゃがんでる   淋しい僕が いるけれど 誰も気付かず  通り過ぎる 無常の心模様 降りしきる 雨と風 非情の世界 拾った寿し ほお張って  心の隙間 埋め尽くす   孤独な 少年時代 頬伝う 涙のかけら  しっかり手に 握り締め…

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夏休みの思い出~釘抜き~

おいらの小学校時代の夏休みって よその子供たちとは全く違って おやじの梃子として朝から晩まで 嫌って云うほど働いた 職人さんのトントントンとリズミカルに叩く金槌の音がとても心地よかった ある時 おやじから五寸釘がなくなったので 取ってこいと云われ おいらはすっ飛んで取りに走った 昔は云いつけられた用事は速やかに処理するのは 当たり前のことだ 遅いぞっ なんて云われたらお終いだ 五寸釘を両手一杯に鷲摑みして 一目散におやじの所へ持っていった 「馬鹿や郎 てめぇ 死んでしまえぇぇ」 一括されておいらは固まった 大事な釘を無造作に持ち運んだ事への 親父の怒りは強烈だった 道具や備品に対する職人の魂を知った それからはきちんと釘を揃えて 大事に落とさないように手渡した 昔は廃材も大事にしていた おいらの一番の仕事は釘抜きであった 今では足に釘を刺す事など皆無だろうが 当時はよく 遊んでる子供たちが 置いてある板の上を歩いて釘をブスッと刺す事があった 数え切れない程の釘を抜いた そして まだ新しい釘であれば金槌で真っ直ぐに直すのもおいらの仕事だった 汗流して働く意味を 子供ながらに ぼんやりと分かりかけてきた 小学4年の夏の思い出です

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夏祭り

昭和49年6月15日 札幌市の夏祭り たくさんある中より 3枚だけ 駅前通りの山車行列   この年 北海道祭りがあり 6月13日と14日に大パレードがあった 全道の夏祭りが一同に会しての大パレード その写真もと思ったが いずれそのうちに さぁ 夏本番 !! 祭りだ 祭りだ 祭りだぁーい !!

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ほったらかし

30年前から 何代にも渡って引き継がれて 今では手入れなど皆無のほったらかしです それでも 結婚当初のいろんな思い出を 忘れちゃ駄目よって 云ってるかの如く 今年も たくさん花芽をつけてくれました

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修業時代

おいらがこの道へ入った原点 厳しかったけど 人情が嬉しかった時代 なにより ご飯を食べられることが…            寝るところがあるってことが… とっても 毎日 生きてるんだと云うことが           実感出来た日々 ツルハシで 氷割り お手の物さ なんたって おやじ仕込みだもんなっ 写真なんて 学校で撮った集合写真しかないから 住み込みで働いて わずかなお手当をコツコツ貯めて やっと買ったペンタックスのカメラ ここから おいら生まれ変われると信じて 写真を残していこうと決意して 撮り始めました 昭和49年春 おいらが19歳です がむしゃらに学んで この時にはもう  焼き方をやってました 

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もも字郎の心の歌 10

心の壁面に こびりついて いつまでも        忘れることの出来ない 歌がある  あと数日で 娘の命日… 娘のお骨と一緒に         千歳空港から 家路を急いだあの日 沈黙の空気が 重苦しくて         一枚のテープを車中で かけた           「れくいえむ」 唄 南こうせつ その曲は 余りにも 胸に浸透して        運転しているおいらの 目がかすんだ 嗚咽が聞こえぬよう 堪える分だけ        涙がこぼれてきて もう 極限に達していた その時 助手席の家内の嗚咽が聞こえた 信号待ちで ちらっと さりげなく家内を見やると         家内の顔は涙で グジャグジャだった あぁー とても 愛おしく         今すぐに 抱きしめたい衝動に 駆られた あれからもう 11年立っても         娘と訣別出来ないおいらが 存在する 来年は 13年忌だ         花を手折って 君に捧げよう 無沙汰を詫びて 冷たい君の墓石を 抱きしめよう 君が待つ札幌の地へ 帰ろう   ↑再生をクリックして下さいネ        

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幾とせを…

また 今年もアマリリスの芽が 出てきたよ でも 去年と少し違うんだ 何がってネ ほらぁ 真ん中にスミレが咲いてるでしょ このスミレも ながぁーい 付き合いなんだよ 種がこぼれて あっちにも こっちにも咲いている ずぅーと昔から 時を越えて         おいらのとこに 居てくれてるんだ 幾とせを…  懲りずに… 眺めていると 走馬燈のように           過去が甦る… どこか 淋しげだけれども… 幾とせを… 乗り越えて… 過去記事←クリックしてネ 過去記事←クリックしてネ

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今生の別れ

この頃 身体が重い 何故か 肩が押さえつけられて いるような… あぁぁ そっかぁ 忘れていたなぁ  ごめんね おばば 思えば 最後は さよなら だったね もう駄目かもと 云われて  病院に 自分の子供達が集まっても    だれ一人分からず 名前も分からずだった でも おいらが 病院に駆けつけて  みんなが yottiが きたよって云ったら   おばば 起きあがって 頑張ってねって… おいら 掛ける言葉見つからなくて  無言で何も云えなかった ホントは感謝の言葉 たくさん 云いたかったのにね… しばらく様子を見てから 仕事に行くからって  病室を出ようとしたとき おばば 手を振って  「さよなら」って おいらに云ってくれた おいら 「うん」 としか 答えること出来なくて  今 後悔してるんだ… あれが おばばとの 今生の別れって やつなんだね 孫のおいらの名前だけ 最後まで覚えて いてくれたんだ 「yotti 腹すいてないかぁ」 「腹減らして 歩いてたら 悪いことするから                 ちゃんと 食べれよぉ」 どこまでも 心配かけたね おばばの声 耳に残ってるよ 関連記事 関連記事 関連記事

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如月を懐かしむ

はや 2月も 残すところ数日となり 年が明けてから もう あっという間の日々です 別に 急ぎ足で駆けてる訳でもないのに 時は 無常にも おいらを追い回します しかしながら この 如月には 殊の外  おいらが熱く燃えた4日間が 過去にあります 今日 仕事休みで ふと ぼんやり リビングで くつろぎながら 壁に目をやり 気付きました もう 忘れかけていた あの熱く燃えた時の事を… '93.02.25~'93.02.28          人生に於いて 最大の栄誉を賜った 身障者のスキー大会が開催されて 髭の殿下こと 三笠宮殿下が妃殿下と共に 御来道なされた そのとき 一日3食のお食事を ご用意させて戴く お役目を仰せつかり 身に余る光栄と 身体を突き抜ける緊張感で とても長い4日間であった しかし 心和む話が 実はあるのです 殿下をお迎えになるにあたって 玄関ロビーにお花をと考え 当時 持っていた山の 管理をしている方が 雪深い山に スノーモービルで入り まだ 蕾みの山桜を切り取ってきて  直径1メートルは越えていたと思うが 大きな それこそ大きな花瓶に いけて 玄関に飾ったのです 殿下がご到着されたときは まだまだ 堅い蕾みでした  右往左往しながらも 何とか 1日目のお食事を作り終え へたり込む暇なく 翌日の朝食のご用意に精を出し ほんの 数時間仮眠して朝を迎えました 2日目…

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ストーブ あれこれ 外伝

北海道で生まれ育ち 冬の寒さを 嫌と云うほど 知っている おいらが 今 とても寒いと感じてる やはり 根本的に 家の作りが違うんだろう 北海道は 夏涼しく 冬暖かくってのが 家を建てるときの 基本中の基本だ 壁の間に 断熱材を入れ 冬に保温性を高めている ところが こちらでは なぁーんにも 入ってない だから 底冷えがして 寒いよぉー 真冬はストーブをガンガンたいて 部屋中がポッカポッカさ だから 変な話 おいらなんかは パンツ一丁で ビールをガンガン飲んだもんさ もちろん 煙筒も暖をとるのに 一役かってるんだよ ストーブから壁へ突き出すんだけども 2メートルや 3メートルはあるから 煙筒の回りも あったかいんだ この煙筒には子供の頃 思い出がある ストーブから出てる 曲がり(直角に曲がっている煙筒) の上で 魚の骨を焼いて 食べたもんさ 秋刀魚とか ほっけの中骨を のっけておいて こんがりと焼きあがったら ぱりぱりと食べたんだ 骨を丈夫にするからと 云われてね それに 昔は食べ物への感謝と もったいないと云う 大切な事を 子供たちに 教えていたんだと思う 食べ物を 粗末にしては いけないと云う事をね 当時はアルミホイルなんて なかったから 曲がりの上には 焼け跡が 残っていたなぁ

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ストーブ あれこれ その参

親父が死んで オイラを引きとって 面倒見てくれた 長兄(本家)の家で おいら ホント 豆に働いたよ 学校行く前に 玄関の掃き掃除 そして 伯父の家は お惣菜屋をしてたので 学校から帰ってきたら 店が終わって戻ってくるまでに テーブルを出して 茶碗類やお皿や箸 それに 醤油などを 並べて 食事の用意を したんだ まだ たくさん あるんだけど 冬になると ストーブに火を入れて 暖をとるのも おいらの仕事の一つとなった おいらが 12歳からの話だよ そこの家は ルンペンストーブなんだ 常にもうひとつ 代わりのストーブを 用意しておくんだ 縦長の寸胴の形で 中に 石炭を詰めておく 火を点けるのは 上に新聞紙を丸めて  たきぎを上手に載せて 火を熾すんだ このストーブは煙突から 取り外しが簡単に出来て 便利なんだけど 予備を忘れると 駄目なんだ 大体は 夕方 点けると 寝るまで大丈夫で 朝 起きたら 換えのストーブと取り替えて 火を熾す これが おいらの仕事だったんだ だから 夏のうちから 焚き木作りを せっせと作るんだよ これは 大きな丸太を 鉞で割って 更に鉈で 細かく焚き木を作るんだ 鉞の使い方は 死んだ親父直伝さ 過去記事で 書いたよね まぁ 良く時代劇とかで 薪割りのシーンが あるけど まさに そんな感じで 焚き木作りに励んだ これを 時々 怠けると こっぴどく叱られた 伯父さんではなく …

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ストーブ あれこれ その弐

親父がある日 居なくなってから すさんだ生活が 徐々に 進行して 冬の暖をとる 燃料に 事欠くようになった とても ひもじい ひと冬を越して 翌年は  同じ轍は踏まないと 春を過ぎて 夏がくる前から せっせと きたるべき凍てつく 冬の準備を 進めた おいらが 11歳の話だよ 山へ入り 白樺の木の皮をはがして  それを天日に干して 積み重ねていく 来る日も来る日も 繰り返し 干した 当時 がんび と云っていた 軒先に互い違いに重ね ついには 屋根近くまで 届く高さになって その作業は終わった その冬の ストーブは 薪ストーブだ 汗流して 11歳の子供が蓄えた がんびは まるで 不動明王が烈火の如く 怒れるように 勢いよく 燃えた それは まるで おのが身の上を 呪うように 燃えた 木の不思議 自然の不思議 たくさんの自然の鋭気が 薪ストーブの中で交わり おいらを 心底 暖めてくれた この時 おいらは 知った 労働の意味 汗する事の大切な事 全てが 己に還元される事を… そして 満たされる事を… 決して 物欲だけでは ないと云う事を… 長い冬の終わりと共に  蓄えた がんびも 底をついていた 薪ストーブとおいら 原点が ここに あると  いつも 思っている

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ストーブ あれこれ その壱

雪国育ちのオイラにとって 真冬の厳寒を凌ぐには ストーブは 欠かせない生活の 必需品であった とても 思い出深いものがあり また ストーブに 纏わる 色んな出来事もあった 記憶に残る一つに 炭坑町の場合  玄関の土間の 上がり口の蓋が 外れるように なっていて そこに石炭を蓄えていた 大人の人たちが 背中に しょって 運んで その中に 入れていく 石炭小屋を作って 蓄えてる家庭もあった スコップでブリキのバケツに石炭を入れ ストーブにくべる(入れる) 木で作った箱に入れて ストーブの側に 置いてる 家庭もあった ストーブにくべる道具は じゅんのう と云って 小さなスコップだ そして かき混ぜるのが でれっき と云って 鉄で出来た堅い棒で 先が つの字に 曲がっていた この棒で 良く やきを入れられたもんだ 石炭ストーブの上が 何重かの輪になっていて 鍋の大きさに合わせて 取り外しが出来るように なっていた その輪をはずすのに つの字のでれっきが 便利であった 燃え始めると 石炭ストーブの胴体は 真っ赤になり ストーブの入り口の 風を送る開閉の小窓を 調節した このストーブに湯沸かしを つけてる家もあった ストーブの煙突を 横穴のあいた寸胴に差し込んで しっかりと固定して ストーブの熱でお湯を 湧かしていた それでも ストーブの上には  やかんが ちゃんと載っていた                   …

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ハナタレ小僧

昔の 腕白小僧は どこ いったぁ いたずらして 大人に 怒られて ごめんなさい そんな 憎めない 存在の 子供が 今 見当たらない ような 気がする よその家の人でも 悪い事は悪い  こらぁー って 怒る事が ない へたに 叱ったもんなら   うちの子に 何 すんのよぉー なんて   云われかねない 昔は うちの子が 申し訳ありません って  その子の親が 平謝りなんて事   当然の事 だったけど 今は 主張が先で 謝るなんて   二の次だなぁ みんながみんな そうではないが  なんか 親の資質が 昔と   違ってきてるような そんな気がするのは    おいら だけだろうか  おいらの子供の頃は 不思議と 青っぱな垂らして 遊んでいた記憶が強い どの子もみんな そうだったような… チリ紙なんてもんは そうそうなくて  仮にあったとしても 何回も同じ物を   折り返して 使ったような気がする しまいには 袖で 鼻をなぞって  着てる服の 袖が テカテカに光っていた でも それが 不思議と 気にならない時代だった なにか 腕白小僧の 勲章のような   そんな 感じが あった おいら なんだ かんだと 云っても  人生においては まだまだ はなたれ小僧だ 見てくれや(見た目) 良い格好を 気にし過ぎの  喰えない奴だ せめて 昔のように 腕白でも …

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山スキー

あちこちで 雪のニュースを聞くと  今年は スキー場の雪不足は ありえんなぁ なんて 物思いに耽ってると そういえば おいらだって 子供の頃は   毎日スキーで 遊んでたんだよなぁ なんて   ふと 懐かしい 光景が思い出された おいらが小学生の頃は 今のように  立派なスキー場なんて 近くにはなくて   もっぱら 山スキーが主だった 大抵は かんだはん または らぐりゅーめん   ちょっと あとから ホープマーカー    そんな名前の スキーの金具が 主流だったと思う 昔は良かった 小さい子から中学生までが 一つになって 遊んだ どの子も スキー板を肩に担いで 山を登る そして 平坦なところで スキーを履き  先頭に一番上の中学生 その後に 少し下の子   小学生 更に もっと小さい子と続き    一番後尾には また 大きな兄ちゃんたちがいる 横になり 一歩一歩 雪を踏みしめながら 頂上をめざす  先頭に続き 後ろから 一歩一歩 雪を踏みしめ 登っていく   その数30人から40人ともなれば しっかりとした    コースが必然と 出来上がる 今で云う ブッシュ 昔はそんな言葉はなかったけど  切り株の所も踏み固めて ちょっとしたジャンプも作りながら   どんどん 登っていく 途中でくじけそうになる者を 兄ちゃんたちが励ます 小さい子は 泣きべそをかく でも 落伍者は誰ひとりとして いなくて…

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もも字郎の心の歌 8

今夜は やけに水割りが 喉に染みる  クリスマス・イブ ひとり部屋で ちびりと グラスを舐める 静かだ ただ 灯油ストーブの ファンの音だけが  おいらの 落ち込んだ気持ちに 拍車をかける ふと 脳裏をかすめる歌が ハートを揺さぶる     「さすらい」             作詞 西沢爽             作曲 狛林正一              唄  小林旭   ♪夜がまた来る 思い出つれて        おれを泣かせに 足音もなく♪      泣ける夜         染みる夜     前触れもなく 突然訪れる         深い悲しみ ♪なにをいまさら つらくはないが       旅の灯りが 遠く遠くうるむよ♪     つらくない なんて 云えば         嘘になるだろう     ただ 強がって          見せてるだけさ     歩んできた道を 旅と云うのなら…         今はもう 遠い昔の話 ♪あとをふりむきゃ こころ細いよ       それでなくとも 遙かな旅路♪     ちっちゃい時から ずぅーと         ひとりぽっちで こころ細くて     先を見れば ずぅーと 続く道 ♪いつになったら この淋しさが       消える日があろ 今日も今日も旅ゆく♪     きっと 消えることは なくて…         …

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たった 一枚の写真

おいらには   この一枚しか         ない たった 一枚の写真 おいらの部屋に  額に入れて    壁に掛けてある おいらの宝物だ 写真も記憶も  セピア色に 染まって   しまいそうだけど いつも 心の片隅にある  おいらの おやじとの   写真だ 昨日 今日と 何度となく  眺めていた たった 一枚の写真 おいらには   これしかないんだ 胃ガンで  入院した   叔父の容態が    気にかかる 親父の弟  おいらを 導いて くれた人 思わず 南ぁ無ぅ と  つぶやいた   

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どこ いっちゃったぁ

何気に 自分の部屋を かたずけて        あれっ て 気がついたんです そう云えば どこだぁ たくさん あったのになぁ 変だなぁ        ここでもないし                 こっちでもない… えーぇ どこだぁ        どこ いっちゃったぁ きっと どこかに あることは あるはずなんだが… いろんな方たちから 戴いたサイン入りの 色紙 げぇー 大事なのになぁ        誰かさんの SMAPのサインと同じくらいにネ 中でも極め付けは  片岡千恵蔵先生と天知茂さんと倉丘伸太郎さんの お三方が 一枚の色紙にサインを残してくれた物 これは お宝だよ それと オイラ若い頃 晒しを 半反巻いてたんだけど 或る日 大木昇さんがいらして いざ サインって事に なって 色紙を切らしていて その時に 腹出して 晒しに サインしてもらったんです これも お宝だよ いやぁー みぃーんな          どこ いっちゃったぁー

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恨めしい雨

たしかにダムの水量が少なくて、節水を呼びかける広報車が、 スピーカーから連呼していたが、なにも今日降らなくても いいじゃないか。それも、どしゃぶりの雨だ。 もしかしたらと、わずかな期待を抱いて、早目に床に入ったのだが 見事に大はずれで、外は雨。多少の雨なら、行こうと思っていた万博。 家内とふたり、手をつないで会場を闊歩しようと思ったのに。 若い頃から手をつなぐなんて、殆ど皆無だったけど。 肩で風きり、眼光鋭く歩いていたので、 みんなオイラを避けて、通り過ぎていった。 その後ろを、遅れじと急ぎ足でくっついてきていた。 薄野のネオン街を歩いていると、家内はまるでその種の、 お姉さんに間違われた。オイラは、ひもに間違われた。 特に0番地界隈ではね。 だから今、こんな機会滅多にないので、行きたかった。 あきらめも、また人生ってか。 恨めしい雨…        そっと埋めておいた過去をさらけだす 恨めしい雨…        おあずけ食らった憎い雨…

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旭川 大町編 其の参

ここでの生活に、おやじは何故か、でてこない。 いつも思い出すのは、義理の弟の世話と、継母の浮気。 大体が、今何処で何してるのかさえ、知らないが いや、知ろうとも思わないが、とにかくとんでもない 馬鹿女なのは確かだ。 おやじが現場に、泊まり込みで仕事してるのを いい事に、男作って遊び呆けて、しまいには 自分の子供の世話を、オイラに押し付けて バカヤローってんだ。 くっそー、まだおそらく70歳代だろう。 絶対に、いい死に方はしないと思う。 もう死んだか? どうでもいいか。だが、義弟は心配だが…。 落ちぶれて、大変らしいと何年か前に聞いたが…。 この大町も、ただ単に通りすがりの町だった。 この先の、激動の運命からすれば、 ほんの序章にすぎない。 流れ流れて、浮世に流されて、 落ちるとこまで落ちて、どん底から               這い上がるまで… 今在るオイラの礎は、       ここから始まるのかも知れない。

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