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zoom RSS 厳寒の地 旭川

<<   作成日時 : 2005/04/18 12:33   >>

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おばばと別れ新しいお母さんの実家がある、厳寒の地旭川へと居を移して転入した学校は
日章健康小学校だったと思う。子供心になんか新しい感覚の、名前の学校だなと思っていた。
普通は土地の名前が付いてるのに、ここは違った。
学校生活の思い出は殆どない。なぜかない。無理もない事だとは思う。
1年足らずでまた転校してしまうのだから。ただ強烈に記憶に残っていることが、いくつかある。
その実家は、2階建てなのだが、1階は操り人形を作っている小さな工場だった。
最初から最後まで全ての工程を、其処でやっているかどうかは、子供の時の記憶では
よく分からないが、いつも塗料の匂いが鼻をついていた。朝学校に行く時は、まだやってなかったが
帰ってくると、いつもぷんぷんと匂っていた。人形はピノキオみたいに、紐が何本か付いていて
とても興味を引かれた。そのうち、馴れてきていつのまにか、触らせてもらえるようになり、
とてもうれしく、おばばと別れた寂しさを操り人形で癒すようになった。そこの人の顔などは、
全くもって覚えていないが、すこぶる可愛がられたのを覚えている。
実家の家族構成は、新しいお母さんの妹とその父母、そしてオイラ達3人。
狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めだった。おやじが壁をぶち抜いて部屋を作って、少し広くなった。
その手際の良さにびっくりした。そこの父、オイラから見てじいちゃんになるのだが、
当時は雑品屋を生業としていて、学校が休みの日などは、一緒にリヤカーを引いたり押したりと
歩き回った。マンガの本などが手に入った時は、嬉しくてむさぼり読んだ。
主に縄とか空き瓶それにダンボール、銅線なんかはお金になったように思う。リヤカーに雑品が
一杯になると、どこか忘れたが換金に行った.それでもじいちゃんの手のひらには、
わずかばかりの1円玉と5円玉が殆どで、10円玉は少なかったように思う。
ある日、遠く白いふるさとに置いてきた、スキーの事を思い出しメソメソしていたら、じいちゃんが
縄紐のついたスキーを、雑品で持ってきてくれた。とても喜んだ嬉しくて。
ただ、ジャンプするところはなく、凍った川の上を滑るところもなく、ちょっぴり物足りなかったが
それに変わるおもしろい事を見つけた。旭川の町は馬車がとても多く、冬はそりを引いて往来を
車に混ざり、行き来してた。そのそりの後ろに、こっそりつかまって、滑るのだ。おもしろいし、
馬が引っ張ってくれるので、やみつきになり殆ど遊びはスキーだった。
時たま、馬がそりを引きながら、うんこをしたのに気付かず、その上を滑ってしまうと、
その後が大変で、スキー板の裏はうんこだらけ。滑りも悪くなり参った。
じいちゃんの名前は知らない。ましてその素性や過去は、何をしてた人なのか全く知らない。
ほんの数年しか暮らさないから。この何年か後に、じいちゃんは橋の上から飛び降り、帰らぬ人となった。何故か分からない。どうしてなのか知る由もない。

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